Xerox Alto はグラフィカル・ユーザ・インタフェース(GUI)をベースにしたOSを採用して、マウスやウィンドウ操作を取り入れた最初のコンピューターです。最初のモデルが作られたのは1971年で、GUIが世の中に広まる10年も前のことです。
技術的に素晴らしい Alto
発明的なハードウェア
GUIを支えるために、例えば算術論理演算回路(ALU)が直接メモリや周辺機器のレジスタにアクセスできるようにしたりといったデザイン面での工夫が数多くされているだけでなく、発明といえるような機能が数多く取り入れられています。
Ethernet は今でもコンピュータネットワーク技術の根幹をなすもので、Xerox Alto により開発されました。ゼロックスはその後オープンな規格として特許を開放し、様々なコンピューターに搭載されていくこととなります。
マウスは、今も当たり前のように私の右手の横にありますが、マウスももちろん Alto のために開発されたものが最初です。
先進的なソフトウェア
Xerox Alto は当初はBCPLで書かれていましたが、後でMesaで書き換えられます。Mesaはモジュラープログラミングをサポートする言語で、その後構造化プログラミングやオブジェクト指向プログラミングへと発展していきます。
Mesaは PARC で開発されたプログラム言語で、Alto の開発で使われたくらいであまり外には広がらなかったのですが、Modula-2やJavaに強く影響を与えることになります。
GUI上のアプリケーションも、今では当たり前のWYSIWYGなもので文章を書いて、印刷ができたり、グラフィックエディターやゲームなど魅力的なアプリケーションを開発しています。
Smalltalkも Alto の上で開発環境が提供され、オブジェクト指向プログラミングが実践できました。
PARC は研究所であって開発部門ではない
このように素晴らしい技術を Xerox のパロアルト研究所(PARC) は世に出したわけです。しかし Alto を作った人たちは研究員であくまでも経営陣に見せるために試作を作ったに過ぎません。研究所には商品を開発してそれを販売して利益を上げるといった責務はありません。
研究所として最高のアウトプットを出したにもかかわらず、そのアウトプットがなぜ経営に見過ごされのかが問題です。その見過ごしによって Xerox は未だにコピーの会社でしかありません。優秀な研究者が続々Appleなどに移ってしまったのも仕方がありません。
スティーブ・ジョブスの優れた開発センス
1979年12月に、スティーブ・ジョブスは PARC を訪れます。そこで、SmallTalk-80のオブジェクト指向プログラミング環境や、ネットーワークや、WYSIWYGとかマウスを使ったGUIのデモを見ることになります。
彼は難しいオブジェクト指向プログラムとか、ネットワークとかはよく分からなかったみたいですが、分かりやすいGUIに強く感銘を受けたようです。その後GUIはApple商品に取り込まれ、LisaやMacintoshに導入されることになります。
ジョブスはすでにある技術をうまく使い、市場に受け入れられる商品を開発したわけです。何かを発明することは少し違い、ジョブスがしたことはある意味イノベーションだったわけです。
Xerox 経営陣の失態とその理由
ジョブスとは違い、Xerox の経営陣は自らの素晴らしい発明を見過ごした責任は重いわけです。どうしてジョブスには刺さって、Xerox の経営陣には刺さらなかったのでしょうか。
以下のWiredの記事は当時の様子が良く分かります。
この記事では、Xerox は紙を消費してもらうことで利益を上げる会社であって、オフィスワークの未来がスクリーンにあるという PARC の主張を受け入れられなかったとしているようです。
でも根本的な理由は、経営陣が自分基準でしかものごとを考えられず、技術が理解できなかったからだと思います。
例えば自分はキーボードがろくに打てないので、キーボードを使って文書を作るというと、「そんなの時間がかかって仕方が無いだろう。使い物にならん。」といって一蹴してしまうところにあります。
ジョブスはたまたまカリグラフィーをかじっていたので、GUIに刺さりました。もしももう少しプログラム経験があればオブジェクト指向プログラミングにも刺さったでしょうし、通信に多少知見があれば、ネットワークにも刺さったでしょう。
経営陣のタイピングも含めて技術のコンピテンシーがあまりにも狭く低かったことが一番の原因といえると思います。テクノロジー企業の経営はある程度技術を広く知り、生まれてくるビジネスチャンスを見逃さないようにしなければいけません。
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